こちらのページでは代表者の想いや自己紹介をいたします。
当事務所が大切にしていること
当事務所がどんな考え・想いで事業をしているかを簡単にご紹介します。
~私は付加価値の高まりが北海道に関わる人々の幸せに繋がると信じ、資本主義経済のシステム下における幸福を追求します。
~正しいことが実践できれば事業は成り立ちます。正しいことを実践し続け成果を出すまで支援することを大切にします。
~問題や課題は、正しくない所に原因があります。私は正しいことが何かを明確にし、正しいことになるよう伴走支援します。
~すぐ結果が出るほど世の中甘くありません。とにかく今やっていることが正しいと信じて続けること。そうすれば、自然と結果の出る方向へ行動できるようになります。
主な支援実績(2023年実績) 事例はこちら
開業するまでの約1年間、会社員の仕事もしながら以下の通りご支援をしてまいりました。主に小規模事業者や個人事業主をご支援してまいりましたが、業種や規模は問いません。ご支援できる内容については支援内容・メニューのページにて紹介しております。
※秘密保持契約の関係で社名・地域等は公開できませんのでご了承ください
- 公的機関の専門家派遣:延べ35回(製造業、運送業、建築業 等)
- 地方公共団体の専門家派遣:延べ5回(飲食・サービス業 等)
- 経営改善計画の策定:2社(運送業、製造業)
- 追加融資の検討・計画策定:1社(製造業)
- 創業支援:1者
- 業務改善支援(ご紹介による直接契約):延べ5回(運送業 等)
- 経営診断業務(民間企業からの受託・チームで実施):1者
- 講師業務(金融機関・民間企業の受託):2件
事務所概要
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- 屋号:北海道の経営支援屋 川原朋也事務所
- 連絡先:初回は問い合わせフォームからお願いします
※Eメールor電話連絡の後、お互いが都合よい連絡先(メール、LINEなど)を交換します。 - 対応日時:お客様に極力合わせます。休日夜間も事前予約でお受けします。
- 住所:〒060-0062 札幌市中央区南2条西10丁目1000-24 TAKETOビル2階
(※事前連絡なしでの来訪はご遠慮ください)
代表者 川原朋也の紹介
その後、恵庭市→浦河町→札幌市南区と転居
2006年3月 北海道札幌旭丘高等学校 卒業
「この坂 越えん」足腰が鍛えられました
2010年3月 北海道大学経済学部経営学科 卒業
今は無き経済学部のAO入試で入学しました
2010年4月 鉄鋼メーカーへ入社し、広島県福山市へ
鉄鋼業界のお客さまは「全産業」あらゆる業種・業界と仕事をさせて頂きました
製鉄所はモノづくりの最前線。人事労務・協力会社外注管理業務に従事
現場の最前線の皆さんと仕事をしつつ「現場・現物・現実」の大切さを学びました
外注管理業務を通じ、約700社の与信管理・契約・業務支援・原価管理に従事
ハードな価格交渉をしつつ、協力会社の経営課題を役員に届ける仕事は貴重な経験でした
2020年11月 中小企業診断士登録
2021年7月 電力会社へ転職
札幌市の本店で人事労務部門の企画運営業務、SaaS導入等のDX推進業務に従事
仕事の中で北海道経済の全体感、ミクロな地域課題まで知見を得ることができました
2023年2月 開業届の提出
会社員業務と並行しつつ中小企業診断士業務を本格的にスタート
2024年2月 勤務先を退職し独立開業
- 主な保有資格:経済産業大臣登録 中小企業診断士(番号420763)
- 認定経営革新等支援機関(ID 108501000410)
- 所属・提携(公的機関・団体の主なもの)
・一般社団法人中小企業診断協会北海道 会員
・独立行政法人中小企業基盤整備機構 登録専門家(経営支援)
・北海道信用保証協会 登録専門家
・札幌学院大学 社会連携センター協力員 - 趣味:ドライブ、鉄道・バスでの旅、料理
- 最近の注目:すみっコぐらし、YOASOBI
- SNS:アルバイト時代の呼び名「カワサン」の名前で活動?中です
- 荒川弘先生の漫画「銀の匙 Silver Spoon」を全国の小中学校に届けるプロジェクト(全匙プロジェクト)に賛同しています。
- 2020~2021年、中小企業診断士試験一発合格道場というWEBサイトで中小企業診断士試験の受験生向けにブログを書いていました。
- 上記経験+広島県在住の経歴もあり、全国各地に中小企業診断士の仲間がいます。この繋がりもまた、独立開業のキッカケになっています。
- 中小企業診断士の資格とは「坂田銀時に匹敵するくらい万事屋になれる仕事」です!!
代表者近影(2023年6月 撮影:齋木大河さん)
独立開業の理由と想い
よく「なんで家庭もローンもあるのに、大手企業辞めてまで独立するの?」と言われます。「あ〇おか」って言われることもあります。私は、それで構いません。
2022年末に自宅が完成しました。家族がいて自宅と自家用車のある「日本のサラリーマン」として完成形のような状態になりました。40年の住宅ローンを調達し、収入もそれなりだったところ、リスクを負って会社員の立場を捨て、やりたいことへ全振りすることは、周囲が不安に思うのも仕方ありません。
しかし、会社員で安泰というのはバブル崩壊で過ぎ去ったと私は思っています。実際、上記のように諭されるのは、会社員を勇退された、私の親世代の方がほとんどです。同世代(ミレニアル世代)やZ世代(少し年下)の皆さんからは「独立楽しみだね!どんどんやっていこう。」「お前なら仕事すぐ埋まる」「30代半ば、人生はこれからだ!」と背中を押されまくっています。
なぜ世代でこんなに価値観が違うのでしょうか。
日本経済がバブル崩壊した数年後の1997年から、北海道では都市銀行の経営破綻、地方銀行に公的資本注入と、金融システムが崩壊しかけて経済活動で大きな痛手を負いました。 そのころ現役で苦労されたのが、私の親世代です。そして、その苦労を背中で見ていたのが、当時子供だった私たちの世代です。
1997年当時、私は小学生でした。日曜日の夕方、テレビのニュース速報で拓銀破綻のテロップが出たことは、今でも鮮明に覚えています。それがどれだけの一大事だったのかは、そのころは知る由もありませんでした。母親が「通帳の預金は大丈夫そうね」と言っていたのは、覚えています。
それから、北海道経済は明るい話題に乏しい期間が長く続きました。ハローワークの駐車場に車の長い列が並んでいたこと等、今になって思えば大変な時期だったなと思います。高校生でアルバイトした時は、当時の北海道最低賃金637円の時給でした(2023年、北海道の最低賃金は960円。約20年で1.5倍も上がりました。素晴らしい!)。
時は変わって2008年の秋、そのころは大学3年生です。これから就職活動だと意気込んでいた時期に、リーマンショックが起きました。
それまでは、プチバブルで「内定ゲッター」とか「東京で最終面接を同じ日に3社受けるから、飛行機代も3社から正規運賃でもらって稼いだ」なんて先輩もたくさんいました。ですが、リーマンショックで求人が激減。私の世代あたりから「卒留」「就職浪人」「無い内定」(内々定に対応する皮肉ったもの)などの言葉が使われ始めました。卒業ぎりぎりまで決まらず、二次募集や三次募集で決まった友人も居ました。
このように景気の波を肌で感じてきた中、
「会社員はとても大変なもので、自分の腕で稼ぐ能力や力が必要なのでは」
自ずとそのような思考に行きついた気がします。それが、独立開業に至った遠因かもしれません。
話は変わって。事業がスタートするとき、軌道に乗るとき、先行きが怪しいとき、撤退するとき、どんな時も大切なのは「売上」です。売上があってお金が入ってきます。
売上が経費より高ければ、収益が出ます。
収益が出ると、納税事業者になります。
納税した税金は、世の中のために活用されます。
念のため補足しますが、納税額が大きいほど、手元に残るお金も(細かいルールはさておき)多いです。
つまり、売上がしっかりある企業は、自分たちで使えるお金も多く手元にあるのです。
私は、そのような事業者を北海道にもっともっと増やしていきたい。何なら、一緒に増やしていきたい。そう思って、独立を決めました。
「お金」は「経済の血液」と言われます。 私たちは資本主義経済のルールで生活をして事業をしています。ですから、「お金」が使われて循環しているのは「血液が循環している」ということです。つまり、経済が健康な状態なのです。 金融が正しく機能しながら、事業もしっかり成り立っていれば、健全に血液が循環します。「金は天下の回り物」とは見事に表現したもので、お金が使われて循環し続ければ、北海道経済はもとより、日本経済やその競争力はもっともっと上がるはずです。
そんな想いもあるけど、まずは利益の源泉である現場の最前線を大切に。そう私は事業者様に向き合っています。 (ブログでもルーツに時折触れていく予定です)