独立しようと思った経緯(1)北海道への想い・前半

大切にしている考え・教え

自己紹介ページだけでは書ききれない、独立への経緯・想いを、「北海道への想い・前半」「北海道への想い・後半」「自分の人生」の3回に分けて書きます。

北海道に貢献したいと思ったきっかけ

 北海道に貢献したいと思ったのは、2004年の1月です。当時は高校1年生、初めて北海道中をJRで周ったときでした。当時は夜行列車が沢山走っていたので、車中泊で5日間過ごしながら周遊しました。

 初日、特急に乗って深川に向かい、そこから深名線の代替バスで幌加内町へ。ここに鉄道が走っていたのかと思うほど人気(ひとけ)のない、雪深い地に驚きました。乗客も2~3名、人家の見当たらないバス停もいくつかありました。

凍てつく寒さの中を走るバス

バス待合所はどんな日も除雪がちゃんと入る

 幌加内から先は、いよいよ乗客は自分のみ。運転手さんと雑談をしながら、政和温泉、添牛内、朱鞠内、北母子里と特に冷え込む地帯を抜けて、名寄へ向かいました。ずーっと雪が舞う中、国道275号線を北上するのですが、すれ違うのは除雪車ばかり。
無人地帯をバスがただひた走る中、ところどころに集落があり、日本有数の豪雪地帯で極寒の地にも、人の生活がある。札幌では決して分からない、北海道の地方のリアルを、高校生の時に垣間見ることができました。

 (この記事を書いている)ちょうど20年前の出来事ですが、その頃から町村部の過疎化は問題視されており、私はお正月にバスで通っただけですが、この町はどうなるのだろうか、この地を切り拓いていった先人たちの想いって、途絶えてしまうのだろうか、それは良いのだろうかと思ったのを覚えています。

 その後も、函館→網走→夕張→留萌→ニセコ→襟裳岬→稚内…とめちゃくちゃな旅程で周り(夜行列車で車中泊したのでこういう移動になった)、地域の様子に触れたり、本州からの旅人と一緒になったりと、真冬の北海道で人の温かさに触れながら、美しい冬景色にも出会い、北海道っていいなあと漠然と思っていました。
ちなみに、稚内では宗谷岬訪問を目指したのですが、ホワイトアウトでバスが途中で打ち切りになり断念。2年半後にリベンジを果たします。

ホワイトアウト

大学生になるとき

 大学入試では自己推薦書の提出と筆記・面接試験が要件でした。志望理由書には、2004年の旅行で感じた地方の現実を受けて、北海道の将来に貢献したいと書いたのを覚えています(その書類はもうどこかに行った)。それ以来、北海道に貢献すると宣言して大学に入れたのだから、自分の人生は北海道に貢献するのが一つの使命だと(勝手に)思うようになりました。

大学生活では

 私が卒業した北海道大学は、全国はもとより海外からも教員や学生が来る、総合大学です。いま、社会人になって「もっと、はっちゃければ良かったかもしれない」と思うこともありますけれど、北海道の札幌という小さなコミュニティで何も知らずに生きてきたというのを感じさせる刺激的な毎日でした。それでも、俺が俺がとイキっていたと思います。。。

 大学2年生からアルバイトに明け暮れて、アルバイトの収入でレンタカーを借りてドライブによく行きました。大学生協でレンタカーが安く借りられたので、ガソリンが安めで、天気が大丈夫そうなタイミングを狙って、全道各地に車を走らせました。よくこんな強行軍で行けたな、と思うような旅程もありましたが、総じて「北海道らしい良い景色を見たい」という想いがあって、あちこち駆け巡りました。

次回へ続く…

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