独立しようと思った経緯(2)北海道への想い・後半

中小企業診断士

自己紹介ページだけでは書ききれない、独立への経緯・想いを、「北海道への想い・前半」「北海道への想い・後半」「自分の人生」の3回に分けて書きます。前回はこちら

就職で北海道を離れる

 2008年の冬、リーマンショック直後から就職活動を開始しました。北海道で働く志を持っていた私は道内企業の就職を目指していましたが、採用数の減などもあり、巡り巡って鉄鋼メーカーの内定を頂きました。行きたい業界であり、自分で決めたこととはいえ、北海道を離れるのが悲しくて仕方なかったです。実家を出る日、家から新千歳空港まで向かう間、ずっと泣いていました。飛行機に乗ると、花束を持った大学の同級生に遭遇し(札幌駅で部活の後輩から花をもらったが、手荷物に預けられるわけもなく花束をもって乗り込んできたとのこと)、方や私は目が真っ赤に腫れていますからお互い苦笑い。「まあお互いがんばろうや」と羽田空港のレストランで食事をしました。

 北海道を離れることに関しては、親も大手企業への就職で安心してくれたこと、就職した会社で自分が大きく成長できたこと、自分もまた北海道から離れて北海道への想いを強くしたことなどから、結果的に良かったと思っています。

瀬戸内海に来て「水平線の無い海」に衝撃を受けました


配属された最初の週末は広島市の原爆ドームを見に行きました

 入社1年目は(今のところ)人生で一番辛かった時期でした。広島県福山市に配属され、友人や家族もいない、会社の繋がりだけの環境で、とても心細かったです。週末、新幹線で福岡や大阪に行って、ファイターズ戦のビジター応援に行くのが、心のよりどころでした(と行っても、知り合いの方に毎試合会えるわけでもないのですが)。毎日どこかで北海道を感じていたい、繋がっていたい、そういう想いでした。radikoアプリがリリースされた際はとても嬉しかったです。携帯をすぐスマホに機種変して、仕事の日も昼休みに北海道のラジオを聞いている程でした。

 生活にも少しずつ慣れてきて、家族が出来たり、交友関係も広がったりと、サラリーマンなりに人生の豊かさを感じ、こういう人生もいいかなと思っていました。そして、入社10年目には管理職も務めることになり部下を持つようになりました。
しかし、心のどこかでは「北海道とのつながり」を自分が求めていました。毎年の帰省、デパートの北海道フェア、2016年の日本シリーズ…北海道を感じるイベントがあると、気持ち高ぶる自分がいました。

Uターンを決意

 2020年の春先、新型コロナウイルスの感染が拡大する中、北海道がまず大変な状況に置かれました。飲食店や観光地から、ものの見事に人が消えました。ニュースなどの報道を通じて「自分は北海道に居ないから、大変なのに何も力になれていない」と悔しさ、無念さがありました。

 この年の9月、中小企業診断士資格のための研修(実務補習)を受けるために、札幌に行きました。研修は広島県でも受けられましたが、やはり北海道の事も知りたいと思って、札幌開催の研修を申し込みました。指導員の先生は千歳市在住で、私が千歳市生まれなもので、不思議な縁を感じました。指導員の先生は、私たち受講者に対し「心構え」といった実務以外のこともメッセージを下さいました(私のXの固定ツイートはその抜粋)。その後、2020年11月に中小企業診断士を登録を果たしました。

 年が明けて2021年2月、その先生の訃報を受けました。元気だった先生が、突然いなくなった。信じられませんでした。メッセージを読みながら「先生の志を大切にしなければ」という想いと同時に「中小企業診断士として北海道のために力になりたい」という気持ちが湧いてきました

 2021年も新型コロナウイルスの影響は大きく、北海道のとある中小企業診断士の先生曰く「どこもひん死です」といった状況でした。そんな話も聞き、何ができるかは分からないが、まずは現地に帰りたいとUターンを決意しました。最初から独立でもよかったのでしょうが、子供も小さく、家族や家族の両親とも相談しながら、転職を目指すことにしました。「まずは北海道にUターンをする。そこで一生懸命働く。その先のことは、その時に考えればいい」そんな考えで転職活動を始めました。

 仮定の話ですが、もし札幌で研修(実務補習)を受けていなかったら(広島で受けても良かった)、今の自分はないと思います。それくらい、偶然が重なりました。

満を持して?北海道へ凱旋?

 妻も子供も広島県出身です。当時勤めていた鉄鋼メーカーは全国転勤や海外転勤の可能性がある会社ですから、結婚して転居、というのは想定内です。しかし、転職して北海道に永住という話になりますから、家族もビックリです。

 私のわがまま、という前提があったとはいえ、忘れられないことがあります。北海道へ出発する日、保育所へ挨拶に行った時のこと。保育所では2人の子供が0歳のころからお世話になっていましたので、先生方もお別れを泣いていました。最後の日は、私の子供たちのお別れ会をクラスでやってくれたそうですが、クラスメートの子が泣いて悲しんでいたと聞きました。人の子供に悲しい思いまでさせて、北海道のためにと自分の想いを押し通したこと、これは決して忘れられません。社会に貢献することで、その子の涙に報いなければならないと思いました。

 転職や引っ越しの関係で、フェリーでUターンしました。日本海航路では年に数日ではないかというほど、揺れのない穏やかな航海でした。


きれいな夕日を眺めながら北海道へ…


穏やかな航海で渡島大島奥尻島が見えました

 Uターンして、転職先の職場では認められるべく素直に働きました。社会人経験しているとはいえ、新入社員には変わりありません。なんでも聞いて、何でもやるようにしました。コロナの行動制限下、週半分は在宅勤務でしたが、上司や同僚の方にも恵まれ、仕事も楽しく感じられるようになりました。
中小企業診断士として北海道に貢献するにも、転職先でしっかり認めてもらうことが優先ですので、中小企業診断士協会に入り情報収集しつつも、会社員として仕事をすることをまずは大切にしました。

 その一方で、会社員の仕事をしながら中小企業診断士の資格を更新できるか、要件が気になっていました。中小企業診断士という資格は5年ごとに要件を満たさないと資格の継続が出来ません(参考:中小企業庁HP)。以下は中小企業庁HPの抜粋です。

更新登録にあたっては、登録の有効期間の開始日から、今回の申請日までの間に、以下の(1)専門知識補充要件と、(2)実務要件の両方を満たす必要があります。

(1) 専門知識補充要件
以下のいずれかを合計して5回以上の実績を有すること。
1) 理論政策更新(理論政策)研修を修了したこと。
2) 論文審査に合格したこと。
3) 理論政策更新(理論政策)研修講師を務め指導したこと。

(2) 実務要件
以下のいずれかを合計して30日以上行ったこと。
1) 診断助言業務等に従事したこと。
2) 実務補習を受講したこと。
3) 実習、実務補習を指導したこと。

北海道のために力になりつつ、資格の更新もしっかりやれる方法はないか、というリサーチを始めました。そうすると、勤務先では兼業が許可制でした。そこで、資格の更新要件を満たすために兼業許可を申請し、兼業で中小企業診断士として個人事業を行うことにしました。

 実績もない、北海道に来たばかりの自分に依頼なんて来るのだろうか…と思っていたところ、1年越しで、とあるご縁の重なりでご依頼が来ました(守秘義務があるから詳しくは言えません、ごめんなさい)。そこから、様々な偶然の重なり、ご縁に恵まれ、兼業ながら中小企業診断士として北海道に微力ながら貢献する機会を頂きました。

その後、さらに欲が出てしまい、中小企業診断士で仕事をするほうが「北海道の将来に貢献する」という、20年前抱いた志に近いことができるのではと感じるようになりました。そこで、事務所を立ち上げて、独立することといたしました。
 「やらない後悔よりやる後悔」そして「自分の成功は北海道の経済への貢献をもって証明したい」という想いで、突き進んでいこうと決意しました。

次回へ続く…

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